徒弟制度下での修行
栃木県鹿沼市で育った創業者大野末吉は13歳の時、昭和9年/1934年に東京の藤原製作所で修行を始める。 親方が経営する会社に一定の契約期間三食賄い付きで住み込みで働き、 職人として自立して商売を始められるまでたたきあげられた。この育成制度を徒弟制度といった。
旋盤職人のたたきあげ
徒弟制度の雇用契約期間は7年だった。7年の年季があけるまで親方や先輩の中の厳しい上下関係下に耐えながら、工場や機械の掃除、雑役、油さしや、バイトの火造りから作りかたまでを見て学び、見て盗み、実際に試して自分の技能を磨いた。さらに藤原製作所は職人の出入りが多く、多くの職人の技や考え方、姿勢を吸収した。
大野精機製作所
奉公の年季があけて修行を終えたのち、旋盤職人として勤める。その後昭和17年/1942年に軍隊へ入営する。そして昭和20年/1945年の混乱を生き抜き、創業へ向けて修行で磨いた技能を活かして創業へ向けて働く。
昭和26年中古旋盤一台で創業
昭和26年/1951年、大田区大森西で大野精機製作所として創業。当時は中古の汎用旋盤1台からのスタートだった。ちなみに当時の価格で中古旋盤(4尺5寸=1.36m=136.0cm)が一台2,000円だった。創業者の精神(こころ)
旋盤士を生業とするには、仕事のスピードをなによりも考えた。スピードとは手の動きの速さではなく、段取りから完成品までを総合的に見越し、正確に、最短で創り上げるスピードを目指しつづけた。 そして、よりスピードをもって仕事をする為に知恵を出し、考える姿勢を持ち続けた。
80歳まで現役旋盤職人として
そして創業者は平成14年/2002年の80歳まで旋盤の前に立ち続け生涯現役を貫いた。

